20世紀ポップ・ロック大全集 Vol.8 ファンキー・ソウルの新展開 −ファンクからディスコ−

続きを借りてきました。Vol.6は相変わらず借りられたままだったので今回は8を。
残りは6と9です。順番がバラバラですね。

Chapter1 ジェームズ・ブラウンの登場〜ファンクのスタート

1960年代の終わり、ゴスペルをルーツとしたソウルが人種差別の激化で衰退し、
替わってブラックミュージックの主流に躍り出たのは、よりハードでリズムを強調した音楽「ファンク」でした。
(とVol.3の続きという感じで始まります)


ファンクの中心人物として黒人のオピニオンリーダーとなったのがジェームズ・ブラウン
ジェームズ・ブラウンはミュージシャンとしてだけでなく、
黒人のリーダーとして政治や社会に影響力を持ち、黒人の誇りを示しました。


彼はバンドを率いて活躍しましたが、独裁的に振舞ったためにメンバーと対立。
要求が通らないと演奏しないというバンドメンバーを全員解雇して、新たなメンバーを迎え入れます。
その中の一人がベーシストのブーツィー・コリンズ
彼のベースに影響されてジェームズ・ブラウンの音楽も変化。
新しいリズムや音楽を生み出し、更なる活躍をします。

Chapter2 スライ&ザ・ファミリー・ストーン 〜西海岸からの新勢力

ジェームズ・ブラウンの後を追うように、西海岸から新しいファンクスターが現れます。
それがスライ&ザ・ファミリー・ストーン。
スライはサイケデリック・ロックとR&Bを融合させ、ヒットを飛ばします。


メンバーの中で注目を集めたのがベーシストのラリー・グラハム
彼はベースの弦を叩いたり弾(はじ)いたりするチョッパー奏法を生み出した人物で、
彼によって、それまでは縁の下の力持ちとして目立たなかったベースという楽器が注目され始めます。


様々な音楽を融合させたスライ達の音楽は1968年からの4年間でヒットを連発しますが、
彼らのレコードは黒人よりもむしろ白人に売れました。
それはスライ&ザ・ファミリー・ストーンのメンバーが多人種と男女混合で、
彼らは音楽を通じてアメリカの理想像を体現していたからです。


しかし、スライの音楽はますます過酷になる現実の前によって挫折を余儀なくされ、
やがて輝きをなくしていきます。

Chapter3 新しいR&B時代へ〜社会を反映するソウル

ベトナム戦争や人種問題に苦悩するアメリカに愛こそが答えと呼びかけたアルバム
「WHAT'S GOING ON」を発表した、マーヴィン・ゲイ
荒廃するアメリカ社会、黒人社会について歌うスティーヴィー・ワンダーカーティス・メイフィールド


1971年、ジェームズ・ブラウンのバンドを去ったブーツィー・コリンズ
Pファンクと呼ばれるジョージ・クリントン率いるファンカデリックに参加。
ブーツィーによるジェームズ・ブラウン直伝のリズムを加えたPファンクは、新しい刺激を受け進化していきます。
しかし、Pファンクは音楽も衣装もユニーク過ぎたため、一般にはあまり受け入れられませんでした。


70年代の中盤にはファンクは既にブラックミュージックの中心としての地位を確立。
アース・ウインド&ファイアーオハイオ・プレイヤーズ、クール&ザ・ギャングなどのバンドが生まれ、
ファンクに様々な要素を加えていきました。


しかし、人種対立の激化と共にブラックミュージックへの反感も多くなっていき、
ラジオなどは黒人の音楽をあまり流さなくなり、ファンクは人々の耳にはあまり届かなくなっていきます。
Chapter4 フィリー・ソウルの台頭とディスコ〜白人社会への浸透
そんな中、CBSがダンス音楽の市場を開拓する為に、
メジャーなレコード会社としては初めて黒人のプロデューサーを起用しました。


2人組の黒人プロデューサー、ギャンブル&ハフはファンクに管楽器など華麗なオーケストラアレンジを加え、
R&Bに新たな境地を開き、数多くのヒットを飛ばします。
そのサウンドフィラデルフィアサウンドと呼ばれました。


デビッド・ボウイはそんなフィラデルフィアサウンドに魅せられたアーティストの一人です。
また、デビュー当時の勢いを無くしていたジャクソン5もジャクソンズと名を変え、
フィラデルフィアでギャンブル&ハフと共にニューアルバムを製作します。


ギャンブル&ハフの音楽はディスコブームと結びつく事によって大きな成功を収めます。
ドナ・サマー、シルヴェスターがいくつかのヒットを飛ばす中
1977年、ディスコを一躍ポップミュージックの主流に押し上げたのが、
ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデーナイト・フィーバー」の大ヒットです。
ビージーズのテーマ曲は売れに売れ、2枚組のサウンドトラック盤はレコード史上最高の売り上げを記録します。


ディスコの嵐が吹き荒れる中、Pファンクはその音楽性を崩すことなく更に発展させ、
ステージや音楽にSF的な要素を加えていきます。
「フラッシュライト」という曲はシンセをベースに使った初めての曲と言われています。


70年代の終わりに近づくとPファンクのステージはそのスケールの頂点を極めます。
シンガーや楽器の数を増やし、時にはステージに50人の演奏者が立つ事もありました。
しかし、巨大化し過ぎたステージは音楽そのものの魂「ファンク」を失いやがて飽きられ、
時代はもっとシンプルなモノを求め始めます。


80年代の到来と共に黒人音楽はストリートに戻っていき、
ヒップホップという文化から「ラップ」という新しい音楽を生み出します。
新世代の音楽ラップはジェームズ・ブラウンやPファンクなどの音楽をサンプリングし作られています。
どのように形が変わっても、ファンクのセクシーで力強いリズムはブラックミュージックの中に依然生き続けているのです。
と締められてVol.8は終わりです。